2011年03月02日

東野芳明編著『つくり手たちとの時間 −現代芸術の冒険−』岩波書店 1984年



東野芳明編著『つくり手たちとの時間 −現代芸術の冒険−』岩波書店 1984年



不勉強にして著者についてはほとんど知らないが、
アメリカ前衛芸術を支えたビッグネームたちとの貴重な対談集。



【サム・フランシス】
「夢を憶いだし、夢とつきあうにはトレーニングがいる」

58
自分自身をトレーニングするということは、自分自身とできるだけ多くの関係をもつこと、いってみれば、自分の知らない自分自身の無意識とできるかぎり関わり合う、ということになるね。
59
しかし、憶い出す、という問題がつねにあると同時に、忘れ去る、という問題もつねにあるね。憶い出すためには、うんと忘れ去ることが必要なんだ。学習してきたことをほとんどすべて忘れ去らなくては夢を正しく憶い出すことはできない。

63
東野 君の場合、描くという行為が、単に美学的なレヴェルでなくて、ユング的な個我のふかい無意識に独特な形で根差しているから、きわめて錬金術的だということができるわけだろう。
フランシス そうだけど・・・・・(中略)“I paint time.” “I paint time and yet time paints.”

【ルイーズ・ニーヴェルスン】

95 
(時計を出して)これはなんの時間も決めはしない。私たちは時間なのよ。時計は、その時間を規則化しているだけ。私たちは、あらゆるものを自分自身のなかにもっているんです。だから、私は、芸術について、あれだ、これだ、というルールを、ものさしを、けっして認めようとは思わないわ。私たちが人間だというのは、すべてを内部にもっているということなんです。

【ロバート・ラウシェンバーグ】

162
芸術家は、自分自身があまりにできすぎていることに耐えられないものなんだ。どんどん仕事をしていれば、それなりに作品はよくなる。しかし、そういうとき、ぼくはもっと不器用になりたいと思う。つまり、新鮮さがほしくなるんだな。それは必ずしも解決を求めるということじゃなくて、ただ自分の体験の記録としてほしいんだ。だから、ぼくはときどき、恣意的に、自分自身に変わることを強制する。
170
いつも、自分を見張っていないとだめ。なぜって、仕事をすればするほど上手くなってしまうのは避けられないからな。仕事の展開がもたらす弱さ。ぼくも、初期の作品の粗暴さがいつもあればいいとは思うけれど、それを無理に装ったら、もっとひどいことになる。ぼくが作品の素材や、制作する場所をしょっちゅう変えるのも、眼を見開いて、美しくなってしまうことを警戒するためです。

181
ぼくの作品にコンポジションがあるとすれば、それは、関係性を利用するのではなくて、事物が無関係に存在していることを強調するためにある。すると、その作品を見て、たとえば君は、心の中に、ある関係性を作り出すだろう。それは、ほかの人が心の中に作り出す関係性とはまったくちがうものであるはずで、この多様な異なった反応が作品の生命を長びかせる。新聞の場合は、一度読んだらおしまいだ。しかし、ぼくの作品を読むときは、情報が抽象化され、不調和なものだから、前の日には思いもつかなかったことが見えてくることもある。そしていつかは、曖昧な画面のすべてが分かってしまうときがくるかもしれない。そうなったら芸術作品は象徴となってしまう。ぼくは、その時を出来る限り先に延ばすために、画面を複雑に、あるいは同じことだが、単純にしておきたい。
posted by poka-risu at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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