2011年01月10日

シェリー「詩の擁護」より

想念とおなじく音も、相互のあいだに、また音が表現するものにたいして、関係をもっている。そして、音のこうした関係の秩序を知覚することは、想念のそうした関係の秩序を知覚することに関連があるとつねに見られてきた。したがって、詩人の言葉は、いつもある一定の調和ある音の反復というかたちをとる。もしこのような反復がなければ、詩人の言葉も詩ではありえず、しかも、それが詩のもつ力を伝達するのに欠くべからざるものであることは、その独自の秩序とは関係なく、言葉そのものとほとんど変わるところはないのである。それゆえ、翻訳は無益であろう。詩人の創造したものを、一つの言語から他の言語に移しかえようとすることは、色と香りの構造原理を見つけ出すために、スミレを坩堝に投げ込むのと同じくらい、愚かなことといわざるをえない。スミレはふたたび種子から芽を出すべきである。さもなければ、それは花をつけないだろうーーそしてこれこそが、われわれに負わされたバベルの呪いなのである。
posted by poka-risu at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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