2011年01月12日

3000円の段ボールギター

http://wiredvision.jp/news/201101/2011012517.html
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2011年01月11日

エヴェリン・マクドネル『ビョークが行く』より

「テクノロジーも自然も意味としては同じなんじゃないかって思うことがある。過去に使うか未来に使うか、それだけの違いじゃないか、って」(39)

「母は私を早くから信頼していた。五歳くらいのときにはもうカギを渡されて、自分で学校へ行って宿題をして自分で着替えて食事もした。とてもとても小さいころから私は自分で自分のおかあさんを演じていたのね。私は自分との関係の中で母親であると同時に子どもでもあったわけ」(52)

『ヴェスパタイン』のレコーディングにあたって、ビョークはパソコンの小さなスピーカーから流れたときにちょうどいい音量や音質にこだわった。持ち歩いて膝の上にかかえることのできる音楽に。皮肉にもこうした音の探求が古典的なヨーロッパの楽器、つまりハープやチェレスタへと彼女を連れ戻した。(128)
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2011年01月10日

シェリー「詩の擁護」より

想念とおなじく音も、相互のあいだに、また音が表現するものにたいして、関係をもっている。そして、音のこうした関係の秩序を知覚することは、想念のそうした関係の秩序を知覚することに関連があるとつねに見られてきた。したがって、詩人の言葉は、いつもある一定の調和ある音の反復というかたちをとる。もしこのような反復がなければ、詩人の言葉も詩ではありえず、しかも、それが詩のもつ力を伝達するのに欠くべからざるものであることは、その独自の秩序とは関係なく、言葉そのものとほとんど変わるところはないのである。それゆえ、翻訳は無益であろう。詩人の創造したものを、一つの言語から他の言語に移しかえようとすることは、色と香りの構造原理を見つけ出すために、スミレを坩堝に投げ込むのと同じくらい、愚かなことといわざるをえない。スミレはふたたび種子から芽を出すべきである。さもなければ、それは花をつけないだろうーーそしてこれこそが、われわれに負わされたバベルの呪いなのである。
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