2010年12月27日

《ブライユ生誕200年》真の点字発祥地クーヴレー村を訪ねて3−−忘れられた墓地(1/2ページ)

http://mainichi.jp/universalon/report/archive/news/2009/20090219mog00m040008000c.html

◆サン・ピエール教会(2ページ)

◆共同墓地(2ページ)

ラフィグラフと並んで初めて触れたのが、ブライユが6点点字を思いつくきっかけとなったシャルル・バルビエの12点点字だ。陸軍の砲兵隊長だった彼は夜間暗号用の文字としてこの「エクリチュール・ノクチュルヌ(夜間書記法)」を考案したものの、軍隊では採用されなかった。そこでバルビエは盲人用の文字として利用できないかと考えてブライユの在籍していたパリ盲学校を訪れることになる。

生家に展示されていた12点点字は、1文字が縦6点、横2点と縦がブライユ点字よりも2倍の長さで、ブライユ点字のように人差し指の第1関節で読むには長すぎることが実感できた。だが点の数だけでなく、バルビエの点字はアルファベットを使わないというブライユ点字との決定的な違いがあった。ソノグラフィーとも呼ばれるバルビエの点字はフランス語の音素を36種類に分けて、左の列で縦、右の列で横の座標を示すようになっていた。

アルファベットに準拠したブライユの6点点字は、もともとフランス語にはなかったwを除いた25文字を表のように1列目a〜j、2列目k〜t、3列目u〜zの3グループに分け、2列目の文字は1列目に左下の点(3の点)をそれぞれ加えたもの、3列目の5文字は1列目のa〜eに左下の点と右下の点(6の点)を加えたものになっている。(写真1:ブライユの6点点字一覧(ヴァランタン・アユィ協会発行のパンフレットより抜粋))

当初、バルビエはブライユの6点点字に対して否定的な態度を取ったが、最終的にはその優位性を認めたという。なお、フランスでブライユ点字が公認されたのはブライユの死後26年を経た1878年のことで、米国では1917年のことである。

ちなみに同じ6点点字を用いて、8分音符のレはd(145の点)、4分音符のレはdに右下の6の点を加えた「1456の点」のように、それぞれの音符の長さと音程を区別できるようにしたブライユの点字楽譜はそれまで視覚障害者が楽譜を読む手段がほかになかったことから、アルファベットよりも早く盲学校の音楽教育などに採用されていたという。もしもブライユが点字楽譜を考案していなかったら4日の夜に聴いたルゲーの荘厳なオルガン演奏も生まれなかっただろう。


写真2ところで、点字のアルファベットや数字は全世界共通と一般的に言われているが、本家フランスの数字表記は6点のうち上の4点だけを用いる数字のそれぞれに右下の6点を加え、その代わりに数字であることを示す数府(3456の点)を用いないという独特の表記を採用していた(245の点から成る0だけはwと重なるため上下を入れ替えて4の点を付ける)=写真2=。この点について、パリ盲学校を訪れたときにエクター氏に理由を訊いたところ、「アルファベットとの混同を避けるために1920年代に盲目のフランス人数学者アントワンがこの表記を提唱した」とのことだった。


写真3このほか生家では、炭の入った容器に足を乗せて温めるフットウォーマー、チーズを作るための円形の巨大な容器など当時ブライユの家族が実際に使っていた日用品、馬具職人だったブライユの父親が使い、ブライユの失明につながった鋭い刃物などを触って見学した。農業にいそしみ、ワインやチーズを作り、パンを焼いて自給自足の暮らしをしていた当時のクーヴレーのブライユ家の暮らしぶりが目に浮かぶようだった。(写真3:ブライユの家族が実際に使っていた日用品)

2009年2月19日記事
posted by poka-risu at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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