2010年12月26日

《ブライユ生誕200年》真の点字発祥地クーヴレー村を訪ねて2−−デカポワン

《デカポワンとラフィグラフ》

ブライユと言えば「点字の父」、「点字の考案者」という業績ばかりが知られているが、実は彼にはもう一つ同じくらい、いやもしかするとグラハム・ベルの電話と同じように障害者のために開発された技術が後に一般の市場に受け入れられたという点でもっと大きな貢献に値するイノベーションを成し遂げているのである。

僕自身クーヴレーで初めて触ったのだが、ブライユは点字の考案と並行して視覚障害者が独力で墨字(活字)を書く方法を研究していたのである。電話もインターネットもなかった当時、経済的な事情から夏休みなど長期休暇に帰省できないパリ盲学校の生徒たちに残された家族とのコミュニケーション手段は手紙だけだったのだが、代筆では聞き間違いが多く、またプライバシーが守らないという理由から何とか自分で墨字を書きたいというのが彼らの切実な願いだったのである。

視覚障害者の社会参加の実現には晴眼者と同じ文字を学ぶことが不可欠と考えていたヴァランタン・アユィは浮き出し文字以外の特別な盲人用文字の可能性について否定的だったため、盲学校の生徒たちは墨字のアルファベットを学んでいた。しかし、実際には浮き出し文字を自由に読みこなせたのはブライユなど極一部の生徒に限られていたという。また、浮き出し文字は読めたとしても、目の見えない生徒が自分で書く手段がなかった。中にはハンドライティングで墨字を書く者もあったが、書きながら文字が確認できないために、重複や行の乱れなど多くの困難を伴った。

そこでブライユは、縦10×横10の点のパターンで活字のアルファベットを表せるデカポワン(decapoint=10点の意味)という一種の点線文字を考案する。これは視覚障害者自身が活字で手紙を書いて目の見える家族や知人に送れるだけでなく、目の見える人もこれを使って盲学校の生徒たちに手紙を書くことができる双方向のコミュニケーションメディアであった。ブライユの生家には、このデカポワンで書かれた文書が展示されていた。100画素以下でアルファベット1文字を表現するためかなり簡略化されてはいるものの、触読でもはっきり文字の形を読み取ることができた。

デカポワンには、縦10点のうち、中4点で文字の本体部分を表し、上3点と下3点で本体から伸びた線などを表すという原則があり、たとえば小文字のaは、左から縦1列目が5・6、2列目が4・7、3列目が4・7、4列目が3・4・5・6、5列目が7」という具合だ。ブライユは、アルファベットの全文字について、この座標形式で点を打つ場所を定めた番号表を作成している(ピエール・アンリ「点字発明者の障害」参照)。

ブライユは、デカポワンを書くための筆記具開発にも取り組んでおり、パリ盲学校OBで印刷店を営んでいたアレクサンドル・フルニエに専用のグリッド(文字を打つ部分に穴の空いた枠)の製造を依頼しているが、これは現存していない。また後に盲目のトランペッター、ピエール・フーコーとの協力で、トランペットのピストンを応用した「ラフィグラフ(Raphigraphe)」と呼ばれる筆記具も開発している。(写真:今日のドットマトリックスプリンターの原理を先取りしていたラフィグラフ)

これは、縦1列の10個の点を同時に打ち出せる10本のピストンを操作して1列ずつの点を打ち出していく仕組みで、次の列、次の文字への移動も簡単にできるように作られていた。20世紀に入って開発されたドットマトリックスプリンターは、まさしくこのブライユのラフィグラフの原理を用いたものである。

なお、同様に視覚障害者のために開発された技術が一般に広がったケースとしてよく知られているタイプライターのルーツは、1808年イタリアで盲目の伯爵夫人カロリーナ・ファントーニ・ダ・フィヴィッツォーノのために作られたもので、生産が始まったのは1867年以降のことである。【岩下恭士】

2009年2月18日記事
posted by poka-risu at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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