2010年09月16日

ロラン・バルト『彼自身によるバルト』より

何だって?それでは、いくつもの断章を順に配列するときも、そこには組織化がまったくありえないとでも?いや、そうではない、断章とは、音楽で言う連環形式のような考えかたによるものなのだ(『やさしき歌』『詩人の恋』など)。個々の小品はそれだけで充足したものでありながら、しかも、隣接する小品群を連結するものでしかない。作品はテクストの外にしか成立しない。断章の美学を(ウェーベルン以前に)もっともよく理解し実践した人、それはたぶんシューマンである。彼は断片を「間奏曲」と呼んでいた。彼は自分の作品の中に、間奏曲の数をふやした。彼がつくり出したすべては、けっきょく、《挿入された》ものであった。しかし、何と何の間に挿入されていたと言えばよいのか。頻繁にくりかえされる中断の系列以外の何ものでもないもの、それはいったい何を意味しているのか。
断章にもその理想がある。それは高度の濃縮性だ。ただし、思想や、知恵や、真理のではなく、音楽の濃縮性である。すなわち、「展開」に対して、「主題」が、つまり、分節され歌われる何か、一種の語法が、対立していることになるだろう。そこでは《音色》が支配するはずである。ウェーベルンの《小品》群。終止形はない。至上の権威をもって彼は《突然切り上げる》のだ!
posted by poka-risu at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。